落ちこぼれて自由を手にする

昔から活字中毒だったけれど、最近は読後感が昔とは違うようになった。
ますます読書が面白くなっている。

最近読んだ本の中で、吉本隆明が入院したときの話が面白かった。
「病院は拘置所と変わらないじゃないか」と彼は言う。
本当に管理社会だと。
看護士さんは親切いっぱいでやっているけれど、こちらから聞いたことにはぜんぜん答えてくれない。「言われたとおりのことを忠実にやっている」ということ。そして情報を遮断している。
夜中にそっとトイレに行こうとすると控えの部屋からすぐに飛んできて「大丈夫ですか、転んだりしないですか」と。心配してくれるほどに患者のほうの不自由度は増していく。
やって欲しいことはやってくれるけど、自分で自由にやりたいと言うと、それはだめだという。
看護士さんたちは管理社会の枠組みの中にいて、それぞれに職業としてやっているんだし、しかも善意でやっているというように機構ができあがっているわけで、なかなか「自由にしてくれ」とは言えない。
そこで吉本氏はどうしたかというと、しょうがないから、夜中のトイレは移動式のトイレを持ってきてもらっておしりを出したまんまでいたんだそうだ。そうするといくら看護士さんでも入ってくるのを遠慮するようになる。
それぐらいしか逃げる方法がなかったんだそうだ。
病院の人たちが善意で勤めに熱心だということはわかる。でも、違うよなというときに、どうすればいいかというと、結局は「おしり」を出しているしかない。
つまり、落ちこぼれると、その分だけ自由が手に入る。
管理機構のシステムから自由になるには脱落する以外にはない。
医者でも、60歳の患者はこう、80歳の患者はこうだと、やっているわけで、患者ひとりひとりの心で思ってることなんて問題にしていないわけだ。

……というのを読んで、そうか、娘も、そうやって自由を手にする方法を選んだんだなって思った。
学校っていう管理機構の中で、自由を感じられなくて、どんどん自分らしくなくなっていく恐怖からどうやって逃れようか、そして、きっと彼女は考えたんだ。「勉強を拒否する」ことを。
たしかに宿題もプリントも拒否、教科書を見るのも拒否して、ようやく先生はあきらめてくれたものね。そうしないと、結局学校のシステムにのっけられて、次はこれ、今は何の時間、友達とは仲良く、忘れ物をしたら罰、同じ題材で作文を書いて、決められた歌を何度も歌う。そういうシステムにのせられてしまう。
そういうことから自由になるために、落ちこぼれるっていうのはいい手だったんじゃないかなあと思う。
そこまで娘が考えてたとは思わないけど、どうしようもなく身体が拒否してしまうくらい、学校生活が不自由で窮屈だったことは間違いないんだなって。
今、家にこもって、好きなだけ本を読んで、物語りを考えて、歌を作って、絵を書く娘。やりたいことがいっぱいで、1日中忙しそうだ。
いっときは外に出かけて遊ぶのも好きだったけれど、
もう彼女の遊びはそんじょそこらの遊びじゃあ満足できないほど成熟しているようで、ディズニーもキッザニアも、彼女にはもはや自由に遊べない制限だらけの世界にしか見えないようだ。
こうなったら好きなだけこもって自分をつきつめて、自由の世界を構築していけばいいと思う。
母としての私のほうも準備は整いつつあります。
もうあなたを信じてるから、お互いに同じ人間同士の話をしましょう。強要したりジャッジしたりすることはしないようにするわ。あなたを尊重します。

次回はちきりんの本の話でもしたいなあ。。。
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by momeco | 2012-02-09 00:24 | 日常


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